そんなわけで


早速束の間の鉄活動。

試験の最終日に三脚をカバンに挿して登校するのはもはやデフォなのです。最終日じゃなくとも週一くらいのペースでそれやってるだろ、と言われればそれまでなのですが。


部室でダベってるのもあまりに暇かつ時間の有効活用と云う私の信念に反するので、吹田工場出場車の試運転でも無いかなーと思いつつ適当に高槻へ。まぁ、当然と云うか何と云いますか、案の定そんな列車はありませんでした。まぁ、んなこたぁ想定の範囲内です。


ただ、その吹田工場出場線を車内からヲチってみたところ ピ カ ピ カ の 103系スカイブルー6連が停車中だったわけで。車番は大阪寄りからTc103-520・M102-220・M103-123・M102-2042・・・って、えぇぇぇ?123-220ユニットまだ使うんですか?


環状線モリ5編成。先日運用落ちしたあと吹田工場に入っていたこいつ。

両端クハはTc63と520、中間モハユニット二組のうち片方は最終ロット2000番代入りの「新車」・もう片方はM102-220・M103-123の若番ボロモハという超ガタガタ編成。

2000番代モハが残る事は想定内でしたが、まさかあの環状線内で一、二を争うほどだったボロモハをまだ使うとは・・・。西、恐ろしい子


そんな環状線のお膝元森ノ宮電車区には、先日15編成目の201系が到着。これによって森電の201系は8連総両数の過半数を突破し、オレンジ103系は多数派の座をとうとう201系に明け渡してしまいました。

森ノ宮103系の図式が通用する時代は、間もなく完全に過去のものになろうとしています。



で、仕方が無いので代わりにこんなものを。これでも、富山のカマにしては綺麗な方です。


何とはなしにやってきた201系に乗り込み、爆音を堪能しつつ後輩をいじりつつ京都へ。そのまま惰性でみやこ路快速、そして奈良からは103系の普通に載った・・・筈なのですがここから先の記憶が何故か非常にアバウトです。

久宝寺大和路快速に乗り換えたような気もしますし、新今宮から蒼い外回り201系に乗って気が付いたのが天王寺だったような気もします。要はよくある話ですが凄い勢いで寝てました。


記憶がおぼろげのまま京橋で何とか電車を降り、ちょうどいいタイミングで来た5000系急行に乗るやいなやすぐに向こうからやってきたのはひこぼし1号送り込み区急の1900系1919F。

どうでもいいですがこの運用、朝は本線をウロウロ・昼間は区急で走り続け・夕方はひこぼし1号に入って交野線を2往復したあと入庫・・・と云う5連運用にしては そ こ そ こ やる気のある運用だったりします。


こんなのを見てしまった以上、撮らないわけがないわけで。はい、寝屋川下車決定。



切れてません。切れてませんってば。

それにしてもいつ見ても物凄いカントですねここは。


隣は京阪最強の爆音車2400系。両者共に香ばしく1960年代の香りを醸し出しております。



そしてホーム逆側へ移動し、あとは真打ちの登場を待つばかり。



前パンが撤去されてると格好良さは半減ですが、逆に撮影は楽になるというこのジレンマ。


そんなわけで、ひこぼし5号の送り込み普通に充当されていた特急色1929Fも無事捕獲。夕方のひこぼし運用のうち、この列車だけは淀発。
こちらは朝ちょっとだけ本線を走り、夕方まで淀でおねんね・・・と云う、あまりやる気の感じられない運用です。ですが、京阪5連組は実際こんな運用ばかりというのが実情。


淀出庫の場合はブラックボックス寝屋川車庫と違い運用当ての難易度は低く、どの時間に出てくるかなんて朝の運用を見た時点で全部分かっちゃってるんですよね。時々差し替えられたりなんかもしますが。



萱島枚方公園、それとも星ヶ丘か。肝心のひこぼしをどこで撮るか悩んだ結果、結局はカブリの危険性が少ない枚方公園へ。

といってもこのまま直行した所で早く着きすぎるだけなので、枚方公園駅前のコンビニでマガジン。3、40分ほど暇つぶしです。試験が終わった後というのは、時間がゆったり使えていいものです。




三脚セットよーし。傾き許容範囲。カブリ、なーし。
コイツの到着30秒前に颯爽と通過していってくれたK特急に感謝です。


いやー、それにしても2枚看板はいいものですね。

今日のひこぼしは1900系が2本中2本とも充当と云う大当りデー。こんな運のいい日、なかなかありません。