そ れ が 琴 電 ク オ リ テ ィ


この一言以外で、あの会社をどう表せと。


ってことで琴電。18切符がなくても気合とカネにモノを言わせて遠征。

モノを云わせすぎたお陰で一気に財政難になりました。元々モノを云えるほどのカネがなかったので仕方ありません。

まぁ、それでもアレですよ。プライスレスってやつ?



そんなわけで三宮港を離れたフェリーは眠りこける客達を乗せ、闇夜の瀬戸内海をズンズンと進んでいきます。


カーペット敷きのいわゆる桟敷席に寝転がり、揺れに身を任せつつ目を瞑ってゴロゴロ。暫くは音楽を聴いたりなどしていたのですが、時刻は既に1時。やがて、強烈に眠気が襲ってきます。
もそもそとカバンの中からコンパス時刻表と分厚い英文法テキストを取り出し、2冊重ねて枕代わりにしてしまえば後はもうおやすみう略モード。床下で遠く唸るエンジンの轟音を聴きつつ、意識が飛んでいきます。



・・・・・・



不意にお馴染み洗脳ソングこと「ジャンボフェリーの歌」が頭上のスピーカーから大音量で流れ、パッと目が覚めます。流石は洗脳ソング、AM4:00という時刻にもかかわらず、あまりの唐突さに老いも若きも問答無用で乗客全員起床。

窓の外を見ると、港湾施設のものらしき燈火が見えます。船は既に高松東港着岸寸前、いそいそと荷を畳んで下船口へ。


こうして見ると、本当に多い同業者の数。私と目的が同じ方々は皆、必ずと言っていいほどカメラバッグと細長い三脚収納袋(+ときどき脚立)を担いで全身で意志表示していらっしゃるので分かりたくなくてもすぐに分かっちゃうのですが、そんな方々が数十人単位でそこらじゅうにゴロゴロしてます。何てこった。

やがて繋留も完了、下船口のドアが開いて下船待ちの列が動き出します。仄かに辺りに漂う重油の匂いを嗅ぎつつAM4:10、四国上陸達成。


・・・そんな感慨に浸る間もなく列の勢いに押し流され、そのまま高松駅行きの無料送迎バスにぶち込まれます。

車体一面に容赦なくディスカウント運賃の広告を貼りだくられた低年式のボロバスは満員の乗客を乗せ、徐々に夜が明けてきつつある高松港を疾走。しかも早朝で交通量が少ないのをいいことに結構な勢いで走るものですから、車体はガタガタピシピシ跳ねまくり。これはこれで萌えるのでいいんですけど。

高松駅に着いても時刻はまだ5時前。とりあえず暇なのでJR志度までの切符を買い、ハンコを入れてもらって改札をくぐります。


目の前にイキナリ停まっていたのは、こいつ。

1000の3連なんてはじめて見たかも。


そして、目当てのものも程なくして入線してきました。


国鉄色ではないものの、やはりいいものです。順調にローテこなしてれば本来この運用に国鉄色車が入る筈だったんですけどねっ!なんであの絶好のタイミングでローテ落ちするかなぁと。

やがてキハ40・58・65の混成3連編成は、僅かな乗客を乗せて高松を発車。右へ左へとうねりながら、明け方の高松市街を潜り抜けていきます。本線で優等運用に就き、最高速度Max全開で激しくかっ飛ばすのがこの形式の真骨頂だ・・・などと頑なに信じて疑わない私ですが、こういうのも悪くはありません。


市街地を抜けた列車はやがて田園地帯の中に。高台では時折、車窓に海がチラチラと姿を覗かせます。前回訪問時にここを通った時は丁度太陽が昇る最中でそれはそれは美しかったのですが、今日は残念ながら曇り空。


心地よいエンジン音に酔いしれること30分ほど。まだまだ乗っていたい気持ちを抑えて志度で降り、道路を挟んで向かいにある琴電志度駅へ。

一日乗車券を買おうとすると、私の風貌(トートバッグに三脚ブッ刺しw)を見た駅員氏が「瓦町まで行けば、記念一日乗車券がありますよ〜」と教えてくれました。どこの駅でも売ってると思っていたのですが、どうやらそうではない模様。親切にどうもです。

どのみち後で一日乗車券買ってくれるんだから・・・ってことで、改札フリーで電車に乗車させてもらいました。


それにしても




どうみてもはみ出してます。本当にありがとうございました。ホーム長の都合で仕方がないとはいえ、これは凄いwwww


瀬戸内海を間近に望み、家々の軒先をかすめ、カーブで車輪を軋ませながらゴトゴトと走る2両編成の元名古屋市交車両。各駅でわりあいコンスタントにお客を拾いつつ、地元の足として健気に走る始発列車はそれなりの乗り具合で瓦町駅へと到着します。


空腹が限界に達していたので、とりあえずうどんを求めて築港へ。長尾線電車に乗り換えるわけですが、来た電車が折良く3000系325形。運用を知っていたので今回は前回ほどの驚きはありませんでしたが、近代的な瓦町ホームに轟音立てて突入してくる大正製車両は相変わらずどこか間違っています。

とても言葉では形容できないほど素晴らしい唸りっぷりの吊り掛けモーターに暫し言葉を失って車内で立ち尽くしていると、電車は何時の間にか築港駅の頭端式ホームに到着していました。


高松駅前をウロウロするも、「5時から営業」と貼り紙がしている筈の店が何故か閉まっていたりで結局はいつもの店へ。美味いのでいいんですけど。



何気なく高松駅の改札口を撮ってたんですが、良く見るとサンライズが写ってた件。また遅れの影響で撮影可能時間帯に関西通過してくれないですかねぇ?


以下、怒涛の旧型+新型(・・・といっても30年落ちの譲渡車たち)連発。

かなりの頻度で来てくれるので、撮影データも緒元もあったもんじゃないです。数枚トリミング済みのものがあったり傾いてたりしますが、気にしない。



コイツだけお別れ看板がついてました。


天気予報は曇り・午後から雨が降るかも・・・という予報だったのですが、幸いにも朝方には少し晴れ間が覗いてくれました。


・・・誰か赤地に白帯に塗り替えてやってください。なにぶん遅いので、広角気味に撮っても結構余裕。



これだけ頻繁にやってきてくれるとこういうこともあるわけでorz

まぁ発想を変えると、これはこれで物凄くクオリティの高そうなカブリ画像ではありますけど。300と120、自社製造車どうしの一瞬の邂逅です。


このあとは志度線へ。いよいよ、イベント列車の運転時刻が迫ってきました。


今橋に着くと、車庫では丁度イベント列車に充当される旧型3連がスタンバって今すぐ走る気満々な顔をしていたのでついカッとなって下車。


人多杉警報が出ていたような状態だったので、マトモに撮れたのはこれだけ。


オマケで未撮影の335号も。この車両は完全に予備車扱いらしく、志度線では滅多に走らないとか。


ここで同業者さんのうち一人の方と仲良くなり、相談した上で春日川あたりで一緒に降りることに。

住宅街の中なので横向きで編成をビシッと取れる箇所はなかなかなく、あったとしても殆どは既に大量の同業な方々に占拠されているのは目に見えているのでここは素直に作戦を変更。

つまりは、誰も居ない所でタテ位置。


練習一切無しのぶっつけ本番で普通に撮れたのは奇跡だと思う今日この頃。普段からタテ撮りの練習をしておいて良かったと思うです。


そして、やはりこの手の臨時列車は撮るだけではなく乗ってみたいもの。

ですが、まだマトモな編成が撮れていないという板挟み。かくなる上で出した結論は、停車時間が他と比べて長い交換駅で進入を斬ってから急いで乗車・・・というもの。


その交換駅を時刻表を広げて調べてみると・・・ここかよ。


ことちゃん源平号編成を練習台として消化し、生憎の曇り空の下で待つこと10分程。


不意に橋の向こうのカーブを、一灯のライトを輝かせた茶色い列車がゆっくりと曲がってきます。レールを刻む音がだんだん強くなり、やがてそれは重々しそうなブレーキ音と共に私の目の前へ。


元大鉄デロ20、近鉄モ5621形。製造、大正14年

当時は先頭5枚窓・半流線型というとんでもない顔をしていたらしいコイツですが、流石に琴電入線時に平板な貫通顔に改造されてしまい今に至るこの車両。

とりあえず撮影後すぐに猛速で機材を撤収し、3両編成の中間に挟まれた23号に乗車することに。

前述のようにこの駅では行き違い待ちがあったため、意外と時間には余裕がありました。


3両編成中、23号・24号の車内は何とニス塗り。車内に一歩足を踏み入れた途端、何とも云えない重厚感と温かみが同時に感じられます。作られてから年月を経たものにのみしか漂わない独特の雰囲気というものが、この車両には間違いなくあります。


勢い良くドアが閉まり、若干の衝撃と共に発車。ポイントを抜け、先ほど新型車で辿った道を今度は最古参車で逆戻り。

3両編成の大正製車両たちはゆっくりとしたスピードで、普段から通い慣れているのであろう線路の上を走っていきます。民家スレスレを走り、鉄橋を渡り、撮影隊の前を駆け抜け、踏切を潜り抜け。


瓦町までの10分弱は、やはり一瞬でした。


下車時に乗車記念証なる手作りカードを貰ってちょっと嬉しかったり。確かにイベント列車なのでこの手の景品があってもおかしくないのでしょうが、不意打ちでのプレゼントはいいものです。後で公式HPを見たら、ちゃんと「記念乗車証配布」・・・って書いてありましたから、単なる私の見落としだったんですけど。何せ、運転時刻と運用車両にばかり目が行ってたからなぁ・・・


改札を出、とりあえず瓦町駅南にある留置線へと向かいます。

今日の朝の運用を終えた旧型車たちが、ここで寝ているわけd・・・ってなんか今、明らかに300+325らしき車両が築港方面に走って行きやがったんですけど!?


ちょっとorzな気分になりながらも、まずは留置車両の撮影です。踏切から簡単に撮れるので、ここは結構オススメ。



500+315には乗務員らしき方々が数人乗り込んで、車内で何かの準備をされていました。


このあたりで赤ランプが点灯していた電池が既に極限に達しそうだったので、急遽トイレへ駆け込んで10分間の充電タイム。
この10分間が後々の撮影に関して極めて重要な勝敗を分けるポイントになったわけで、もしここで充電をしていなかったら今頃私はずっとorzな状態で「電池切れた・・・4連撮れなかった・・・」などとうわ言を呟きながら打ちひしがれてた筈です。間違いなく。


充電を済ませてホームにおりるt・・・うわ、さっき築港へ行った315+300が今まで留置線に停まってた760+120とくっついて4連になってるぅー!キタコレktkr!!!!1111


・・・こんな感じで半分くらい壊れながら撮影していたのでさほど宜しい写真は残せませんでしたが、一目見ただけでも十分な破壊力を持つ編成であることだけは良く理解できました。こんな編成がこのあと琴平線を走りやがるですか・・・。


ほどなくしてその回送4連は素晴らしい釣りかけモーターの四重奏を奏でながら瓦町を出、琴平線方面へと動き出していきました。恐らく、まずは仏生山まで回送するのでしょう。


回送の発車を見届けたところで、さて私も追っかけ開始ですぅ。


次の琴平線琴平行きに乗り込み、とりあえずは一宮〜滝宮間の撮れそうなポイントへ向かうことに。車内に「昭和34年 東急車輛」の銘板が輝く元京急1000形初期車→琴電1000形は、半分くらい鉄ヲタ輸送車両と化しつつも快調に琴平線を西に向かって走っていきます。


やはり車内で話をするようになたt同業の方と一緒に岡本で降り、車内から見て良さそうなスポットが点在していた地域へ。

高台の丘の上にある駅から、下り坂を降りつつ歩くこと15分ほど。線路沿いの踏切を発見、その横がちょうどいい感じに抜けていたのでここで撮ることに決定。


到着して暫くは晴れててくれました。


現地に居たお仲間の方が「俺は晴れ男だから大丈夫」と仰っていたのにもかかわらず、雲行きは段々とよろしくない方向へ。先ほどまで姿をのぞかせていた太陽は雲の陰に、青い空も徐々に見えなくなってきました。これはちょっと辛い・・・。


定期列車とは違うタイミングで踏切が鳴ったので、何が来るのやら・・・と思ってカメラを構えてみるとこんなのが。
仏生山工場で検査を終えたばかりなのでしょうか、ピカピカの1200形が試運転幕を出して走ってきました。

・・・いや、試運転って。よりによってこんな旧型車4重連が走るような日の、しかもそれが来る10分ちょっと前にわざわざこんな試運転列車を走らせるって何ですかそれは新手の商法ですか。これはもう、琴電さんのサービスとしか思えません。



そしていよいよ、旧型4重連の最強編成が満を持してご登場。

踏切が鳴り、線路を踏みしめる微かな音が聞こえはじめます。ほどなくして、カーブの向こうからゆっくりと姿を現したのは茶色と白に塗られた車体。



・・・・・・いや、流石にコレは反則でしょ?


もう・・・ホント、恐ろしい会社ですよね琴電って。こんな超編成を目の前でまざまざと見せられちゃ、もうグゥの音も出ないです。


1両目:760号(昭和26年/1951年製)
2両目:120号(大正15年/1926年製)
3両目:325号(上に同じ)
4両目:300号(上に同じ)


4両編成の平均車齢、実に74年。760号が一両だけ突出して若いので平均を下げる原因になってますが、それでも凄い数字です。760号を除くと他は全車大正製、車齢は驚異の80年。
世界トップレベルといわれる日本人の平均寿命が80.5歳らしいので、それとほぼ同じですか。


在来線特急車両で2〜30年、通勤車両で3〜40年、新幹線に至っては15年と云われる鉄道車両の寿命。

そんな数字を華麗に飛び越え、未だに走り続ける大正時代の鉄道車輌。消え去る前にこうやって生で見ることができたことを、本当に幸運に思います。


このあと返しを撮影するか当該列車に乗るか考えたのですが、ここで乗っとかなきゃ後で絶対後悔する・・・と云う気持ちが不意に高まり、結局は乗ることに決定。結果的にはこれでよかったと思っています。


さっき降りてきた坂道を今度は登り、再び岡本駅へ。撮影場所は円座〜岡本のほぼ中間地点だったので、駅からは結構遠めです。

途中、店頭に人が列を成すほど繁盛している小ぶりのさぬきうどん屋があったのですが・・・流石に今回ばかりは断念。今しか出来ないことのほうが大事です。


やって来た「元・赤い棺桶」に揺られ、岡本から更に数駅進んで滝宮。

折り返しを待つ4両編成の旧型列車が、ホーム長ギリギリに停まっています。


列車の前に掲げられた行き先サボは次々に取り替えられ引き替えられ、ホームは完全に撮影会状態。とある方が「それでは次、仏生山でお願いしまーす」と叫べば、運転士氏が「あいよー」と言うやいなやすぐに貫通扉を開けてサボを挿し変えてくれるこの素晴らしさ。

お陰で、色々な行き先板を掲げた姿が撮影できました。ここではとりあえず一枚だけ。


やがて発車時間も迫ってきたので、列車に乗るべくホームを移動。流石にここまで来て乗り遅れたらシャレになりません。

あまり人が込み入っていない駅本屋側では駅員さんがドサクサに紛れて私物と思われるデジカメで撮影していたりと、色々な微笑ましい光景を垣間見ることが出来ました。


前から三両目の120号に乗り込み、とりあえずモーター付近の席に座ります。

やがてドアが閉まり、4両編成の旧型車たちはゆっくりと動き出します。重くそして力強く響き渡る、釣りかけモーターの轟音とともに。

この車輌たちが今後琴平線で客扱いをすることは、恐らくはもうないことでしょう。


滝宮を出た列車は、暫くのあいだ平坦な田園地帯を突き進みます。開けた場所には、先ほどの私のような撮影隊が固まることズラリ数十人。前回の琴電祭りの時の人出にも度肝を抜かれましたが、今回はそれ以上の凄さです。


かつて丘を回避することなく真っ直ぐに線路を敷いたため、直線が多い代わりに起伏のかなり多い琴平線
そのアップダウンを忠実に辿り、60km/hほどのスピードで快調に走っていく旧型4重連。上り坂に差し掛かったときのモーター音などは、私の稚拙な文章力では表現することができません。陳腐な表現ですが、本当に筆舌に尽くしがたい圧巻さです。泣けます。涙出ます。


夢のような20分ほどはあっという間に過ぎ、電車はやがて一宮駅に到着しました。

この電車はすぐに築港行きの列車と接続しているので、多くの客がそちらへ向かって流れていきます。私も流れに乗って一群に加わ・・・ることは、敢えてしません。

先ほどの送り込みの流れとこの列車の到着番線から察するに、この接続列車が発車したあとに旧型4重連の仏生山へ向けての回送が絶対にあるはず。そう判断して元京王5000系の1100形を見送り、駅舎を出て近くの踏切に陣を張ります。


三脚をセットして待つこと数分。不意に旧型車の前照燈の灯りが動き出しました。

予想通り、列車は走り出しました。のっそりと、しかし力強く加速しながら。



よーし、文句なしっ!


元京王車の後を追うようにして一宮駅を離れていく旧型車たち。

轟音の四重奏が目の前を過ぎ、徐々に加速しながら仏生山へ向けて去っていきます。


来て良かった・・・と、心の底から思える一瞬でした。


<つづく>