福知山線深夜特急


塾終了、20:35。小走りに駅へ。

途中吉野家豚丼とコンビニの100円500mlカフェオレを買い込んで食糧補給、新大阪でid:sosnaさんと語らいつつ、「北近畿19号3号車 自由席」と書かれた札の下に並びます。


やがて、京都方から近づく3灯のヘッドライト。7両編成の特急が、目の前にゆっくりと進入、やがて止まりました。ワンテンポ置いてドアが開き、車内に待ち人たちが吸い込まれていきます。私もそのうちの一人。


sosnaさんとお別れすると、やがて列車はゆっくりと動き出しました。新大阪の夜景が、後ろへと流れていきます。間もなく、淀川を轟音立てて渡っていきます。


大阪駅で一気に客を増やした「北近畿19号」。実はこの列車は着席帰宅を提供する通勤特急としての役割がメイン、都市間連絡の意味合いは薄いのです。なるほど、私の周りの乗客は皆サラリーマンや会社帰りの風貌の方々ばかり。


大阪を発車、汽笛一声新橋を・・・のチャイムと共に車内放送が始まります。これを聞くのが、特急乗車の愉しみ。普段の殺伐とした快速や新快速では、こんな安らぎは先ず味わうことなどできません。

久しぶりの特急乗車は、それがたとえポンコツ山陰特急と言えどもやはりよいものです。


三田、新三田、相野、篠山口と停まっていくうちに満席だった自由席客はみるみる減っていき、篠山口を出た後は席を4人向かい合わせのボックスに回転させて一人で占領できるほどの空きっぷり。勿論、楽な体勢で”特急”を思う存分体感します。

新大阪〜福知山間の所要時間は約1時間45分、その間に特急料金分くらいはしっかり稼いでやらないといけません。嗚呼、貧乏学生の悲しい性。


25メートルレールの継ぎ目をリズミカルに継ぎながら、列車は深夜の丹波路を軽快に飛ばしていきます。乗客は僅か、車内は静か。響くのはジョイント音と、時折通るトンネルの轟音と、時折渡る鉄橋の音と。


大阪から闇夜を突き進むこと2時間弱、列車は高架化なった福知山駅のホームに定刻で滑り込みました。やはり、鉄道唱歌のチャイムとともに。


残念ながらこの北近畿はここで終点、豊岡を目指すには普通列車に乗り換えねばなりません。そう、この列車は大阪から豊岡まで行くことのできる真の最終列車なのです。


車両はどうせ113系3800番台・・・かと思いきや、意外にも山陰本線113系7800番台+5800番台の4両編成。本来は山陰本線京都〜福知山間用のこの車両たちですが、実は朝と深夜の1本ずつだけは福知山〜豊岡間でも運用されているのでした。

前者がエセリニューアルの2両編成、後者は白線入りカボチャの2両編成。つまりは4両全車がモーター車という最強編成です。


向こうのホームに到着する「出雲*1」を羨望の眼差しで望んでいると、何時の間にか4両編成の最終電車福知山駅を後にし、先ほどまでと同じように闇の中へと踏み出していくのでした。


福知山の高架を降りた列車は、暫くタンゴ鉄道の線路と併走したのちにゆるやかな左カーブを描きながら針路を西へ取ります。

トンネルを抜けると、もう街の明かりはなし。見えるのは、少し離れた所の国道を走る大型トラックの明かりのみ。

何時の間にか線路沿いには雪が数十センチ積もり、いよいよ山陰の風情が出てきました。窓から漏れる明かりが、地面の雪を照らします。雪の上に明かりを映し、4両編成の最終列車は闇の中をひた走ります。


タタン、タタン・・・と快調にレールを刻み、各ボックスに一人ずつ程度のお客を乗せた列車は、豊岡へと夜の山陰路を走ります。客と一緒に、週末の開放的な空気も運びながら。


和田山を過ぎると折り返し地点。流石に、お客もだいぶ減りました。

その数少ない乗客は、各自思い思いに深夜23時台の列車内の時間を過ごします。音楽を聴いたり、時刻表を繰ったり、談笑したり、疲れて寝たり・・・。床下から聞こえてくるのは時折聞こえる笑い声に負けない勢いで、快調に唸るモーター音。


そして定刻24:00、列車は一分違わずに白く雪化粧した豊岡駅のホームに滑り込んだのでした。


*1:編成写真撮れません