キハ7両@宮操敷地外から

車番

学研都市・JR東西線下り快速篠山口行き:サハ207-1045
JR神戸線下り快速姫路行き:サハ221-71
JR神戸線上り普通京都行き:クハ201-63
JR神戸・JR京都線上り新快速長浜行き:クモハ223-3002
阪急京都線普通北千里行き:5308
阪急京都線普通高槻市行き:66211(市交車)
阪急京都線普通河原町行き:2334
阪急京都線普通梅田行き:2321
環状線外回り天王寺行き:クモハ221-46
学研都市線上り快速木津行き:クモハ207-1041

乗車距離

JR:112.6km
私鉄:阪急33.9km

計:146.5km

実質2時間授業

今日の授業。

  1 2 3 4 5 6
  英 生 数 芸 公 ×
  語 物 学 術 民 ×
音楽選択者は自習↑


6時間目は本来国語だったのが、教師がカゼを引いて潰れて5時間授業に。

生物は薄暗く暖房効きまくりという「寝ろ」と云わんばかりの教室でプロジェクターにひたすら訳のわからん映像を映しっぱなし。

公民はどこまで授業なのか雑談なのか分からない教師のマシンガントークがひたすら。


・・・音楽選択者、実質2時間授業。マジかよ。

キハを探して4km弱&阪急京都線レポート

突然ですが最近阪急信者になりかかってます。2300系に萌え萌えです。
学校が阪急沿線ということもあって、うちの鉄研部員に多発している阪急信者達に影響されてしまったらしいのですが。


・・・とまぁそんな事は置いておいて、今日は新大阪にある宮原操車場までちょっと足を伸ばしてきました。


お目当ては今朝早くに回送されてきた7両のキハ58。
前述のようにいつもより一時間早く授業が終わったので、2時10分発普通から乗り継いで新大阪には2時34分着、そこからひたすら長い通路を歩き、新大阪駅の一番隅にある新御堂筋脇の出口から外に。
授業が終わってから僅か40分で宮原操車場脇に到着。

操車場脇の裏通りのような雰囲気の道路を14系・24系などの客車群を望みつつ歩いていくと、ほどなくして発見。キハ58が7両、うち1両が砂丘色車である以外の6両は国鉄色の姿で留置されていた。
写真撮影可能な位置に停まっている車両は次位側を最後部にした、いかにも「廃車回送」然とした姿だったため、残念ながら先頭車の顔は見えず。


それでも全体像をカメラに収め、一両ずつの写真を個別に撮っていき当初の目的は終了。

ヲタらしき人は私以外に1人居ただけで、至って静かな環境の中で撮影できたので「見送り」という意味では非常に良い結果だったのではないだろうか。
あの中には恐らく私が一度乗ったことのある車両も含まれているのだろうし。

あれらのうち4両は明日海外向け改造をするために川崎重工へ回送され、後日タイへ輸出、とのこと――。
いつかタイまで追いかけに行ってみたいものだが。


撮影後、新御堂筋の下を走る道路を数分歩いて阪急京都線南方駅に到着。
新大阪駅からこの駅までは意外に近いのですが、乗り換えを行う人は見たことがない。
北千里行きに乗車後、淡路で大阪市交66系の高槻市行き普通に乗り換えて上新庄に到着。
ここで暫しの間、写真撮影。とりあえず来た列車を片っ端から撮っていくが、窓ガラスからの夕日の照り返し光線がなかなか辛いわけで。
更には、撮っているうちにどんどん線路脇の建物の影が長くなっていき、光が当たるのは車体のみ・・・という何とも嫌〜な状態に。それでも本命2300系を撮影。


やがて、河原町行きの普通に2300系が来たため飛び乗る。
駅間距離の長い区間でかなりの爆走を見せつけるあたりは流石。


何時の間にか茨木市まで来てしまったので、梅田へ戻ることにする。

ホームで待っていると、待避線に2300系の梅田行きが到着。今時では貴重になった菱形の前パンが誇らしげ。
隣には7300系の快速急行が来たが、パスして2300系の普通で梅田に行くことに。


車内は床が近年のリニューアル車と同タイプの小奇麗なものに張り替えられており、阪急側の「まだまだ使い倒してやる」という気迫が感じられる。外見といい内装といい他の阪急車両となんら変わりはなく、とても40年前の車両とは思えない。

快速急行を先に行かせた後、ポイントが開通しすぐに発車。本線に踏み出していく。

ポイント制限をクリアした後、運転士氏は今ではなかなかお目にかかれなくなった古めかしい形のマスコンを操作して速度を上げていく。JR車両に慣れた身となっては、私鉄車両のグイグイ伸びていく加速は新鮮に見える。

沈みゆく夕日を浴びながら順調に飛ばし、すぐに南茨木
ここから隣の正雀までは3.5kmとかなりの距離があるため、かなりの爆走が期待できる。

カリカリッ、という今では余り聞かれなくなった小気味よい音でマスコンが回り、鋭い切れ味で加速していく。速度は70・・・80・・・90・・・とどんどん上がっていき、それに比例するようにモーターの爆音が激しくなる。
遂に100km/hを突破したが、なおも電車は速度を上げていく。車内の銘板は「昭和38年 アルナ工機」、実に42年も前の製造なのだが、恐ろしいまでのモーター音以外からはとてもそんなに古い車両であることは感じ取れない。
夕暮れの街を物凄い勢いで突っ走っていく2300系。遂に速度は最高速度の110km/hに達し、ようやくノッチオフ。
速度は105km/hまで落ちてこのまま惰行かと思われたが、何とここで更にノッチをフルに入れる。すぐに110km/hまで戻す。ここまで来ると、怖いまでの飛ばしっぷりである。

やがて再び惰行に戻り、若干スピードが落ちる。と、すぐ前方に正雀駅が近づいてきた。ブレーキ一発、一気に速度を下げていき停止位置ピッタリに停まる。


ここから先の区間は駅間も短くカーブも多いためにさほど飛ばせないのだが、それでも速度計の針は時折100km/hの大台に届こうかという所まで達していた。相川では待避線に入り、快速特急を退避する。先ほどまでの凄まじい爆走は、この快速特急から逃げ切るためでもあったのだ。
次の上新庄では出入口がちょうど先頭車部分にあるため大人数が乗り込み、ガラガラだった車内がにわかに活気付いた。

淡路に着き、流石に暗くなっていたのでブラインドが閉まる。その後も順調に走り、梅田に到着して久々の阪急乗車は終了。


その後はいつものように環状線学研都市線と乗り継ぎ、6時半ちょっと前に帰宅となった。