な、なんだってー


――そして、奴は帰ってきました。




今日は運良く化学の授業が消滅し、5時間授業で午後2時解放。

昼飯がまだだったので、フィレオフィッシュ100円のクーポンが財布に入ってたのを思い出して住吉駅前のマクドへ。さっさとお持ち帰りして、電車の中で食べることに。


品物を受け取って駅への連絡通路を歩いていると、上り外側線を通過していくのはDD51+ピカピカのEF210。あー、今日は川重甲種の日だったんですか。

まぁEF210だしどーでもいいか・・・などと思いつつ、201系の普通に乗車。芦屋で新快速に乗り換えれば、大阪には2時45分着です。

空いた車内でさっきのフィレオを頬張っていると、甲南山手では撮り鉄大量発生。あれ?普段なら、EF210の甲種なんて殆ど撮影する方居ないはずなんですけどねぇ。


この時点でこれは何かあるな、と直感。とりあえず新快に乗り換え、尼崎へ。



そして、尼崎のホーム端に居た方から聞いた衝撃の一言。


え?


ひろしまからいちまるさんけいのかいそう?


あーなるほど103系ね、ほうほう、廣嶋色ですか。

・・・えっ、E04編成?それはまた珍しいものが来ますねぇ・・・


・・・って、E04編成ってちょ!待て!ってことはクハは元ケヨE38じゃねーか!!!!!1111


ここは柱が邪魔で、超望遠が無い限りは写真を撮るのにあまり適した場所ではありません。


移動を考えるも、列車が来るまでにはあと10分ほどしか猶予はなし。甲子園口や立花へ引き返すのはもう遅すぎます。

普通に考えて、回送先は吹田。吹田行きということは北方貨物線経由=大阪は通らず。

大阪周りの旅客列車は淀川を2回も渡る大回りをするのに対し、北方経由の列車はそれを見事にショートカット。どうあがいても、間もなく来るであろう103系より先行することは出来ません。

・・・が、よく考えてみたところ、吹田工場への入場路は岸辺駅近くの一箇所のみ。
岡山方から来た列車がここへ入るためには、都合3回のスイッチバックが必要なわけです。

1回目・2回目は吹田駅東方にて。3回目は岸辺駅西方で。

・・・あ、吹田でのスイッチバック撮れる!


というわけで一か八か、賭けに出ます。先ほど乗ってきた普通が追いついてきたので、コイツに乗って大阪へ。大阪で快速に乗り換えて新大阪。やはり当該は既に通過した後のようで、「VIPPER参上」「電波発信中」の見るからに香ばしい2chステッカーをゲバに貼った二人組が写真を見せ合っていました。きんもーっ☆


その「うはwww」な感じの二人組と同じ電車に乗り、吹田へ。車内でトンクスとかフォルクスとか云わないで下さい。こっちが噴き出しちゃいますから。

201系は雨天の下爆走を繰り広げ、吹田に到着。ドアが開くや否や、競走馬のように飛び出し、光る風を追い越す勢いで走って撮影場所を確保するヲタたち。私も。


あとはもう、気合で撮影するのみです。最悪の露出のもとで。


うわー、マジで何かものすんごいのが居ますよ!( ゜∀゜)=3ムッハー!!!111


1分ほど停車ののち、コイツはゆっくりと岸辺方面へむけて走り出しました。折りよくやって来た普通で一駅、追っかけ敢行。


混色の207系普通は、途中で貨物線をゆっくり走る103系の追い抜きに成功。ややアングルが苦しいですが、何とか岸辺でも撮影することができました。


もう、萌え尽きたです。





さてさて、来ましたよ個人的超特大ネタ。

昨年7月に「どーせガセネタだろー」「いくらあの酉だからって、まさか束から中古の車両を貰ってくるなんてプライドが許さねぇだろ」などといった幾多の否定説を乗り越え、衝撃の甲種回送で彗星の如く関西へとやってきた103系元ケヨE38編成。

8月末に吹田工場で検査と塗り替えが終わり、試運転。工場から出てきたその姿もまた、甲種回送の際並みに衝撃的なものでした。
モハ1組はオレンジ、2組はスカイブルー、そしてクハは高運広島色。とんでもない3色混合で東海道本線をぶっ飛ばしました。

その後、オレンジのモハは森ノ宮へ、スカイブルーモハは宮原へ、クハ2両は広島へそれぞれ飛ばされ、とうとう彼らは散り散りに。

宮原へ行ったスカイブルーのモハユニット2組はその後阪和線へ転属し、環状線へも乗り入れ、森ノ宮へ行ったモハユニットと再会を果たします。が、クハは大阪から300km以上、古巣の東京からは900kmも離れた「車両の墓場」「中古車センター」こと、遠い遠い広島で爆走に明け暮れる日々。もはや彼らクハ達が関西に戻ってくる事は無いように思われました。


が。


昨年12月、本線系統に321系導入。
その玉突きにより201系が「これはいい25年前の新車ですね」と皮肉られつつも衝撃の大阪環状線デビューを果たし、今まで環状線で働いていた103系のうちでも状態のよい車両は更に玉突きで大和路線阪和線などに転属、それらの路線で壊れかけながらも懸命に働いていた本気でどうしようもないガタガタの103系を置き換えることになりました。

103系103系で置き換えです。ったく、本当におめでてー会社です。


そして、103系を中心としたアーバンネットワーク車両の動きは一気に活発化。
本線で走ってた205系日根野に行くわ、奈良電の冷風車編成がポンポン廃車になるわ、何故か環状線に青い201系が平気な顔して走ってるわ、103系廃車回送がウグイス+オレンジのネタとしか思えない変則編成だわと、もう言い出せばキリがありません。


どうやら今日コイツが広島から奇跡の関西生還を果たした理由も、その一環と考えるのが妥当なようです。


コイツの中間モハは状態の良い40N黒サッシ、両端クハはケヨから来た1979年製の「新型車」。普通に考えて、廃車となる可能性はまず有り得ません。また、クハは前述のように夏に検査を受けたばかり。検査入場の可能性も低いです。


となると、考えられるのは「塗り替え→転属」。現在103系→201系への置き換えが順調に進行中の森ノ宮に行くことは間違っても無いので、候補は奈良か日根野


さぁ、なにやら大変な事になってきましたよ?