単なる18きっぷ消化のつもりがとんでもない事になった琴電逃避行レポ

出発

街全体が浮いた雰囲気に包まれている、週末金曜日は8時半の梅田界隈。


その人波を掻き分けながら、荷物片手に大阪駅を目指します。狙うは京橋20:52発の快速。

この日の夜の宿の予定は、高松行きのジャンボフェリー。そのまま直行する手もあるのですが、如何せん学校や塾の荷物が多いので、一旦家に帰って体制を整えねばなりません。そもそも、カメラを家に忘れてきた時点で帰宅は必須事項だったわけですが。


何とか大阪20:38の環状線に飛び乗り、順当に家へ。45分という短い時間の中で風呂に入り、晩飯を食べ、出発準備をするという超強行スケジュールを何とかこなして改めて出発。


トップランナーは長尾22時半発の快速電車。こんな時間に大阪向きの旅客流動など殆ど無いも同然なので、案の定ガラガラ。住道まで誰も居ない車内でロングシートに寝転び、快適なC寝台を愉しみます。

環状線に乗り継ぎ、大阪できたぐにを撮影後は神戸方面行きの新快速。この時間に西行きの新快速に乗ると言う行為自体、滅多にあるものではありません。
金曜深夜の新快速は、飲み帰りの人々でえげつないほどの混雑。芦屋までは身動きすら取れません。


周囲の人の動くままに揺られること20分、三ノ宮に到着。時刻は23:40をちょっと過ぎたところ。この時間帯に三ノ宮へ向かう人って、ひじょーに怪しい気がしますです。


フラワーロードをひたすら直進、15分ほどでフェリー乗り場へ。地図も何も無しのぶっつけ本番ですが、ダテに3年半も神戸の学校に通ってるわけじゃありません。道路が尽きる所まで15分ほど歩くと、「高松行きフェリー」の看板が掲げられている第三築堤が見えてきました。ただし夜の三宮界隈は浮浪者が結構居てるので、あそこを歩くのはあまりオススメできません。


乗船名簿を書いて、学生証とともに提出。2.5割引で高松まで1350円也。
はっきり云って、この安さは破格。高松まで高速バスで3000円ちょっと、18切符で2300円ということを考えると、今後何度か使う事になるかもしれません。


このフェリーは他にも色々割引をやってるみたいでして、中には「高速バス・フェリー共通利用券」なんてものも。三枚綴りの回数券タイプで、「1枚でフェリー・2枚出せば高速バスに乗れる」らしいんですが、値段が三枚綴りで3990円などというホントありえない値段。
1330円で高松。その上2660円で高速バス利用可能。採算、大丈夫なんでしょうか。


日付が変わった頃に乗船開始。客層は様々。
とりあえず二等和室、いわゆる桟敷席に陣を敷きます。ポツポツと船室の各所に人が散らばっている程度の乗り具合で、まずまずの快適さ。

持ってきた曲を聞きつつ、ネギま11巻と時刻表を重ねて枕にして硬いカーペットの上に寝転びます。なんかちょっとアレな枕ですが、気にしない。

所詮はビンボー二等船室なのでちょうどここの真下にエンジンルームがあるらしく、床に寝転ぶとゴンゴンゴン・・・という機関回転音がモロに聞こえてきます。ま、萌えるからいいんですけど。

翌朝の高松到着予定は4:10なので、船に乗っている時間=寝れる時間は4時間弱しかありません。ということで、乗船早々に就寝。


高松到着

いきなり「ジャンボフェリーの歌」なるものを流され、4時過ぎに半ば強制的に起床。ちょうど高松東港に入港するところ、とのこと。

完全に寝ぼけモードなので、目を覚ますために甲板へ出ることに。夜のフェリーって何とも云えず不思議な雰囲気が漂っていて、怖いような面白いような。


結局4時半ごろに着岸、下船。勿論のことながら9月中旬の今、外はまだ真っ暗。長い通路を歩いていくとすぐにボロいバスに乗せられ、ゴトゴトと高松駅まで運ばれます。

港の道を10分ほど走り、高松駅前には4時45分頃。バスから下りた乗船客らが、方々へ散っていきます。


まだ眠っている様子の街並とは対照的に高松駅の朝は早く、4時半過ぎにはもう始発のマリンライナーが出ています。次いで各方面への普通・特急が5時前以降ポツポツと出て行くので、既に改札も開いている状態。高徳線の始発に乗るべく、18きっぷに日付を入れてもらいます。

前夜に夕立でもあったらしく、この時間にもかかわらず蒸し暑い高松。やがて暗闇の中から、2灯のライトを灯した高徳線の始発列車がゆっくりとホームに進入してきました。先頭からキハ40・キハ58・キハ65、まるで国鉄ディーゼル車両の展示会のような編成です。

四国のキハ40は本州のそれとは異なり機関換装がされておらず、塗装を除けば限りなく原型に近い雰囲気です。3両編成でどの車両もなかなかに魅力的な特徴を持つだけにどれに乗るかかなり悩んだのですが、結局は先頭のキハ65に席を取ります。


ほとんど乗る人も居らず、3両ともガラガラのまま5:15、定時に高松を出発。結局3両編成で乗客は10人居るか居ないかといったところ、ほぼ貸切のようなものです。

贅沢な気分になりながらDML31HZの奏でるエンジン音に耳を傾けていると、だんだんと夜が明けてきました。
徐々に東の空が青くなってきたかと思うと、光がだんだんと雲の腹を紅色に染め始め、やがてご来光。

誰も居ないガラガラの列車内からみる日の出は、感極まるものがありました。


空一面がようやく明るくなったころ、志度に到着。列車を降ります。


そして琴電クオリティ

1両ごとに異なるエンジン音を轟かせながら発車する列車を見送り、道路を渡ってすぐのところにある琴電志度駅へ。


Irucaか1日フリー乗車券、どちらを買うか悩んだものの結局1200円のフリー乗車券を購入。とりあえずはこれで乗り放題・写真撮り放題です。この手のものは何も考えずにひたすら電車に乗ってられる、ってのがいいところ。

小さく狭いホームには、もと名古屋市東山線の車両が2編成停車中。2両編成の小さい電車なのですが、それでもホームに車体が完全に入りきらないらしく、先頭車両前寄りのドアが完全にホームからはみ出している始末。これはこれで「琴電らしさ」がにじみ出てていいような気がします。


志度を発車した電車は、程なくして瀬戸内海の海岸線沿いに躍り出ます。穏やかな瀬戸内に浮かぶ朝陽を一杯に浴びながら、海岸線をゴトゴトとゆっくり走る始発電車。この空気感、一体どうやって言い表せばよいものでしょうか。

各駅で少しずつ客を乗せながら、電車は田園地帯・民家の軒先・・・と、めまぐるしく移り変わっていく景色の中を走ります。
旧型車が休む今橋の車庫脇を通り過ぎると、もう次は終点の瓦町。乗り換えです。

今回の旅行では本当に大まかな予定しか立てていないので、この後どこに行ってどうするかなど、本当にその場の流れで決めるつもりでした。とりあえず高松築港に行ってみることにし、琴平線のホームへ向かいます。

来た車両はもと京急1000形。この車両には前回来たときも乗った&この後何度も乗ることになりそうな気がするので、今はパス。


手元の時刻表を見ると2分後にも長尾線から来た築港行きの電車があるようなので、そちらに乗ることに決めてホームを移動します。

電光掲示板・エスカレーターに動く歩道・最新型自動改札機完備と、見た目は大手私鉄と全く遜色ない、もしくはそれ以上の設備を備えた瓦町駅

その瓦町駅長尾線ホームへと降りる階段を下りていると、電車の接近メロディーが鳴り始めました。


ホームへ降り立つとほぼ同時に「近代的」のカタマリのような瓦町駅に進入してきたのは、焦茶色とクリームのツートンカラーに塗られた車両。この全身で「年代モノ」を表現しているような車両と名古屋市交からの譲渡車両で組成された3両編成の電車が、ゆっくりとホームに停止します。


結構な客を吐き出し、いくぶん空いた車内に上がりこみます。勿論、乗るのは先頭の旧型車両。

息を整えるかのように1分ほど停車したのち、いよいよ発車。ガラガラと重い音を立てながら閉じるドア。


発車。

マスコンを入れると同時にガタガタッと車体が揺さぶられ、電車は物凄い重低音を瓦町のホームに残しながら加速していきます。重低音のヌシは、勿論床下の吊り掛けモーター。

両脇に家や商店の立ち並ぶ中を走り、片原町を過ぎて大きく左にカーブ。高松城のお堀の脇を抜けて更に左に90度カーブすると、電車は高松築港に到着します。


とりあえず、この電車の折り返しで長尾方面へ行くことに。時間があるので、駅の外に出た後に車両を暫し観察。


琴電1000形120。大正15年、琴電の前身となる会社が製造した「自社製造車両」。新旧を問わず、日本各地からの譲渡車両で溢れかえっている琴電では貴重な存在です。

大正15年、西暦で云うと1926年。80年前。

もはや「古い」とか「レトロ」とか「骨董品」とか、そういうありふれた言葉で言い表せるレベルではありません。第二次世界大戦以前、私の祖母・祖父すらまだ生まれてないような時代から走ってるわけです。「永年にわたって大事に使われてきたモノには魂が宿る」などとよく云われたりしますが、もはや軽く宿っちゃってそうな勢いです。


地方私鉄にしては珍しく、バーレスタイプの最新型自動改札が並ぶ改札口。その自動改札越しに見えるのは、リベットの目立つ大正製車両。

コンクリートのビルが立ち並ぶ高松築港駅周辺。その狭間の時間が止まったような空間に止まっているのは、張り上げ屋根の大正製車両。


しかしこの車両はイベント用でも何でもなく、定期運用で運転されているれっきとした現役車両。
暑い夏も雪舞う冬も、雨の日も晴れの日も、エアコンがついてなかろうが何だろうがそんなことは物ともせず、80年間毎朝毎晩地元の足としてひたすら走り続けているのです。ちょっと冗談きついですよ、琴電さん。


車掌氏にこの車両のこの後の運用を尋ねたところ、わざわざ調べて頂いて親切に教えてくれました。ありがとうございます。
更に他にも運用に就いている旧型車両はあり、おまけにこの車両は夕方以降にも運用に入るとのこと。要はそれ、「夕方も乗ってね」という意味ですね。


やがて発車。瓦町までは先ほど辿った道を戻ります。瓦町からは長尾線

先ほどと同じく、瓦町駅に豪快な吊り掛けサウンドを残しつつ発車。3両編成の最後尾のこの車両は、冷房が無いこともあって乗っているのは私と車掌氏の二人だけ。殆ど一人っきりで、旧型車両を満喫できるのです。

ゆっくりと走っていくのかと思いきや、比較的駅間の長い区間はそこそこの速度を出し・・・


・・・って、な、な、何この速度!?


駅を発車し、意外に俊敏に加速していく電車。ガタつきがさほど感じられないことからして、前寄りの元名古屋市交の車両に引っ張られているということはないようです。

すぐに惰走に入るかと思っていたのですが、意外になかなかノッチオフしない大正製電車。走り始めから有り得ないほど豪快な吊り掛けソウルサウンドを奏でているモーターの唸りが、更に激しく増していきます。60km/hはとっくに越え、恐らく70〜75km/hほど。


世に言う”普通の電車”なら全く大したことの無い速度ですが、この車両は”普通の電車”ではありません。80年前から延々と走り続けている、もはや生き神のような車両なのです。

そんな車両がこんなイカレた速度で走るものですから、その激しさはもう涙モノ。


思いっきり左右に振れる、やたらと長い吊革。あまりの激しい揺れに、椅子に腰掛けていると尻が椅子から浮き上がります。

台車と車体が当たる音がモロに聞こえ、窓の外の風景が上下に揺れ動きます。エアコンが無いので全開にされている窓から容赦なく吹き込んでくる風と、とてつもなくヤバい吊り掛けモーター音。


あまりの凄さに、完全に放心状態の私。

わざわざフェリーで朝早くから来た価値は十分、十二分、いや二十分くらいあります。否、フェリー代がどうのと云う問題ではありません。もはやプライスレスです。


この車両、情熱大陸プロジェクトXあたりに出してやりたいです。


走行写真を撮影するため、井戸で下車。走り行く電車を見送り、撮影場所探しにかかります。

とりあえず、この車両で二階堂のCMやってください。焼酎のアレ。



結局駅近くに撮影場所を選定。光線状態は悪いし、編成入れたら中途半端だしであまり思わしくない場所になったものの、何とか撮影。要は120号車のサイドビューだけ撮れりゃいいんです。