琵琶湖大回り+αレポート

学校に行く時とほぼ同じ時間帯の電車で長尾を出発。
日曜のこんな時間から大阪に出る人間は流石に少ないらしく、余裕で車端部の座席に着席。それでも四条畷辺りから立ち客が出、いつもの学研都市線の雰囲気に。


今日は北新地の一つ隣、新福島で下車。
正直な所、この駅はいつも「・・・いや、もうこんな駅快速は通過でいいだろ?」と思うほど乗降客の少ない駅というイメージしか無いのだが。。


長いエスカレーターを上がり、地上へ。なにわ筋と2号線の交差点に出る。

そのままなにわ筋を北へ100m少々行くと、環状線の福島駅。すぐ近くには阪神の福島駅もあり、交通の便はかなり良い。

大阪までの120円切符を買い、ホームに上がる。
ホームの端からは大阪駅に停車中の電車が見えている。距離は数百メートルしかない。
この僅かな距離で行けるところを、今からわざわざ9時間以上もかけて延々と大回りしながら行くことになる。


数本の103系を撮影した後、8時4分発の区間快速・鳳行きに乗ることにする。
この電車は日根野区のスカイブルーの103系環状線を走る唯一の定期運用なので、当初から予め狙って乗ることを計画していた。

ホームに滑り込んでくる編成を見ると、何と先頭車と次位Mユニットは戸袋窓付き車両。2個目Mユニットは流石に戸袋埋め車だったものの、3個目ユニットと最後尾も戸袋窓車。何と8両編成中、6両が戸袋窓付きの車両で占められている事になる。
関東の103系は基本的に戸袋窓が存在しているが、関西ではほぼ全ての車両において腐食防止のため戸袋窓は埋められている。現在関西の103系で戸袋窓が残っている車両は、恐らく20両にも満たないだろう。


いきなり貴重な車両に乗れて、幸先のいいスタート。しかもこの車両は何千両も作られた103系の中でも最も古株のグループで、車内の銘板によると昭和39年東急車輛製。今年で実に41年目である。
車内アコモも緑色基調の登場時のままの姿と、本来の103系の姿を完全に残しているかなり貴重な車両であった。

その「生きた化石」と言っていいほど完全な原型を留めていた103系新今宮で下車、大和路線に乗り換える。221系区間快速が来たがパスし、その後に来た103系の普通王寺行きに乗る。
天王寺でもさほど乗客は増えず、その少ない乗客も各駅で一人、また一人と降りていく。
大和路快速を退避する柏原では、既に一両に3人しか乗っていなかった。ここから電車は大和川に沿って生駒山地の端の渓谷を縫うようにして走るので、これ以上に乗客が増える事はまずあり得ない。

トンネルと鉄橋・カーブで渓谷を抜け、やがて山が開けて奈良盆地に入っていくとすぐに終点の王寺である。
ガラガラで非常に快適な車内で過ごした、新今宮からの30分少々は一瞬であった。


すぐに、103系の後を追ってきた高田行きの区間快速に乗る。一番ホームに降り立ったところ、前4両を奈良行き・後4両を高田行きにするための分割併合の最中だった。
一両に20人足らずと、かなり空いた状態の高田行きに乗り込む。

王寺を出ると、電車は右に大きくカーブして進路を90度変え、南向きに走る。
景色はいかにも大阪のベッドタウンといった風情で、住宅と田畑が交互に車窓を横切り、パッチワークを織り成す。

信号所から晴れて駅となったJR五位堂駅を出ると、次は終点の高田。


桜井線の奈良行きとは、同じホームでタンデムに接続している。区間快速からの乗り換え客が全て乗り込むのを確認すると、奈良行きワンマン列車の運転士は後部を注視しつつドアを閉める。接続時間僅か1分で、少々慌しく発車。

105系の2両編成で運転されているこの電車、先頭車のドアのみが開くワンマン運転のためどうしても先頭車に乗客が集まっている。
地元の方々だけでなく、ハイキングに行くオバチャン連中もかなり多いようだ。


走り出してほどなく、進行方向左側に百人一首で有名な「天の香具山」が姿を見せる。
折り悪く曇りがちな天気だったが、車窓から優美な形を見て取る事が出来た。

2両の電車は、その天の香具山を後にして田園地帯を軽快な足取りで走っていく。


桜井を出ると、車窓に若干の変化が現れる。
線路沿いに、木々の茂ったこんもりとした丘がいくつも点在しているのだ。

そう、奈良盆地の古墳群である。古代の豪族や天皇の権力を後世に示すために造られたという大小さまざまな古墳が、次々と現れては消えていく。
巻向の近くでは、卑弥呼の墓とも噂される有名な箸墓古墳が車窓をかすめた。

ハイキングのオバチャン軍団はこのあたりでかなり降りていったようだ。


天理教の本部で、臨時列車が入線するためにやたらと広く長いホームがある天理を出ると終点・奈良はすぐである。

このあたりは櫟本(いちのもと)、京終(きょうばて)と言った難読駅が点在している。ぶっちゃけ、これをどうやって読んだらイチノモトになるのか私には分からない。


やがて、電車は高架化工事たけなわの奈良駅の行き止まりホームにゆっくりと停車した。立ち客が出るほどの盛況を示していた車内から一気に乗客が降りていく。


降りた乗客の行き先は、大阪方面に乗り換える客が半分、奈良で降りる客が半分といったところのようだ。流石に私のように、加茂方面に乗り換える客はいなかった。


関西本線の加茂方面行きホームに降り立つと、部員のFと合流。新今宮から103系普通に乗り続けてきたとか。すぐに来た加茂行きの大和路快速に乗車。

天気予報では「曇り時々雨」の予測だったのだが、外は雨が降るどころか青空が顔を覗かせている。雨が降るよりこっちのほうがいいのは勿論だが。

木津で奈良線学研都市線と分岐し、単線になる。山間の切りとおし区間を走り、奈良から10分ほどで終点の加茂に到着。
駅の周りには大阪まで一時間で通勤できるとあってマンションが建っている。流石に、大阪のベッドタウン的色彩が残っているのはここの駅まで。

中線に停まってたキハ120が転線し、3番線に入る。そのまま11時6分発の亀山行きになるようだ。
間もなくドアが開き、車内に入る。幸いにも300番台、ボックスシート付きの車両だったのでとりあえずボックスを一個確保。

まだ発車までには30分あるが、4区画しかないボックスは1、2人のグループで全て埋まっていた。逆に、ロングシート部分には一人として座っていない。
発車20分前に到着した大和路快速からの乗換えで、ようやく車内が賑わってきた。更に20分後の大和路快速からの乗客を受けて発車するが、既に乗客はかなりの人数で僅かな席が空いているのみ。

キハ75の急行「かすが」が中線を通過し、やがて最終接続の大和路快速がやってくる。
一気に乗客が乗り込み、単行のディーゼルカーはたちまち満員に。すぐ発車。


発車後しばらくすると、進行方向左側に木津川が寄り添ってくる。見所の多い関西本線の非電化区間のうちでも特に見ごたえのある景色なのだが、あいにく先ほどまで晴れていた空は曇り出し、その景観もイマイチ冴えない。

普段なら次の笠置でかなりの客が降りるのだが、今日はさほど降りない。18きっぷシーズン最後の日曜だからだろうか、明らかにそれと分かる人も多い。

やがて木津川を渡り、暫く川と付いたり離れたりしながら大河原。単行のディーゼルカーには、長大な駅構内はかなりミスマッチ。

大河原を出ると木津川とは完全に別れ、どんどん山間に入っていく。勾配もきつくなるがそこは流石キハ120、25パーミル勾配を物ともせずグイグイ上っていく。月ヶ瀬口〜島ヶ原間で県境を越えて三重県に入るが、依然として山の中。

短いトンネルを境に上り勾配は終わり、線路は一転して下りこみにかかる。上野盆地の中心からは少し外れた伊賀上野へ向け、棚田の中を最短距離で下っていく。

伊賀上野で相当の客が降り、車内はやっと本来の落ち着きを取り戻したようだ。
ここから柘植までは上野盆地の平地部分を走るので、一両っきりの列車は大したアップダウンもなく平坦な田園地帯の中を快走する。が、進行方向左側すぐには山壁がそそり立つ。この山を越えた先は陶芸で有名な信楽である。


急に林の中に入ったと思えば、やがて左から架線柱の立ち並ぶ草津線が寄り添ってきた。本線は非電化なのに、支線が先に電化されているというのも変な話である。
加茂から約一時間、ようやく柘植に到着。駅構内はそこそこ広く、古めかしい跨線橋や石積みのホームからは歴史の匂いすらする。行先の書いてある板が回転して次列車の行き先を表示する、いわゆる「パタパタ」もここではまだまだ健在。
関西本線加茂行き列車の進行方向である東側を向くと、山壁がそそり立ち行く手を阻んでいる。鈴鹿山脈である。この単行のキハ120は今からこの山越えに挑むことになるのだが、大回り区間はここ柘植までなので山越えはまたの機会にしておく。
18切符利用では数回通ったが、スイッチバックあり、激しいアップダウンありと何度通っても飽きない区間であった。

やがて、一番隅のホームに草津線113系5700番台が進入してきた。JR西日本ではリニューアルを済ませた113系も大分増えたが、来たのは湘南色をまとった、5700番台のうちでも比較的原形をとどめた車両。モーター車のボックスに席を取る。この車両、ドアは手動で開けるようになっていた筈なのだが何時の間にか押しボタン式に変更されていた。そのため戸袋窓周辺が中途半端に埋められており、あまりすっきりしない。

キハ120を降りてから発車までには20分ほどあったが、すぐに過ぎてしまった。一両あたり4、5人の僅かな乗客を乗せ、4両編成の電車は柘植を後にした。

柘植〜油日の間で、三重県から滋賀県に入る。電車は90km/hほどだろうか、なかなかの速度で飛ばす。短尺レール・木マクラギの線路規格が低い路線なので、電車は上下左右に激しく揺れる。つなぎ目を越えるたびに、台車のバネと車両が当たってゴツゴツと音を立てていた。なかなか激しい走りっぷり。

同行の数人と他愛もない話をしていると、いつの間にやら草津の市内に入っていた。気が付けば乗客も増え、立ち客が出るほどの盛況っぷり。ボックスも相席である。

やがて東海道本線と合流し、草津駅の傍らにある草津線ホームに到着した。柘植から40分余り。


ここからは、間髪を入れずに6分の乗換えで新快速に乗り米原を目指す。



東海道本線の上りホームに降り立ち、すぐにやってきた新快速は223系2000番台2次車。2004年度増備分の、223系の中でも一番新しい部類の編成である。
列車のホーム進入時に車内をざっと見たところかなり混んでいたので一瞬立ちせきも覚悟したが、実際はここ・草津で結構な量の乗客が降りていき、車端部ボックスの窓側を相席ながらも確保することができた。
新快速とは云うものの琵琶湖線区間はかなり細目に停車し、守山、野洲と言った駅を「隔駅停車」の状態で停まっていく。野洲手前で渡る野洲川は騒音防止のためか線路際に屋根の高さまである殺風景なコンクリートの壁が設置され、景観を望むことが出来ない。列車はその壁に反響音を残し、コンクリート道床の上を乾いたジョイント音と共に走り去っていく。


能登川、発車。このあたりから線路脇の建物の影に融け残った僅かな雪が見られるようになった。しかし、雪国の風情にはまだまだ程遠い。

相変わらず新快速は最高速度の130km/hで快調に飛ばしていく。
能登川彦根間は停車駅が多い琵琶湖線内では珍しく、13.8kmを8分間無停車で走り抜ける。いつも聞いているのだが、高速走行時のモーターの響きは心地よく飽きることがない。


彦根では近江鉄道の車両と出会い、その隣は交通の要衝・米原
鉄道はここで北陸本線東海道本線が分岐し、高速道路も米原JCT北陸道名神高速が分岐しているのだがここは米原「町」、新幹線の駅もあるのだが至って小さな町。純然たる「乗換駅」の雰囲気である。


丈夫そうな鉄骨上屋がかかる米原駅ホームに滑り込む。
この列車でこのまま長浜まで行ってしまってもいいのだが、あえてここで降りて時間を潰すことにする。

適当にJR東海の車両などを撮り、橋を渡っていると下をEF81牽引の貨物列車が通過していった。機関車の後ろに続くのは黄色いタキ車、今時珍しい編成である。


やがて30分後の列車の発車時刻が迫ってきたので、そろそろ長浜行きの列車が発車するホームに移る。経験上、長浜駅は工事中のため先頭車が一番乗り換えやすいことを知っているので先頭に乗り込む。

乗り込むのはいつもお馴染みの223系3000番台、予想以上の客の乗りで米原発車時点で席はほぼ埋まっている。
長浜まで直流電化が延伸されて新快速が大阪から直通するようになった結果、長浜での乗降客数はかなりの伸びが示されたと言う話を聞いたことがあるが、これほどの乗りならその話にも確かに頷ける。

列車は一面の田園地帯の中をひた走る。いつもの爆走っぷりが嘘のように、90km/hほどの速度でゆったりと走っていく。
右手には雪をたっぷりとたたえた伊吹山が聳え立つ。雲間から日が差し、雪化粧の山が一層冴える。

やがて運転室にATSの警告音が響き渡り、列車はゆっくりと長浜駅の構内に進入していく。

工事中のため仮設ホームになっている新快速の停車するホームの先には、食パン顔の419系が待ち受けていた。

乗り換え時間は僅か1分、ドアが開くと同時に小走りで目標の列車に向かって走っていく。


先頭車両にボックスの空きを見つけ、乗り込む。

車内を見回すと特徴的な高い天井とベッド収納部分跡、やたらと広い車端部デッドスペース、パイプの荷物棚にそのまま付けてあるつり革などツッコミ所満載な車内。何度乗っても慣れない、この車両・・・。

乗り換え客が完全に乗り込んだのを確認し、列車は長浜駅を後に琵琶湖北辺を進み出す。

田園を望みながら走り、しばらくしてノッチオフ。そのまま車内灯が消える。
この区間の名物、交直セクションである。北陸本線を通過する上での儀式、とでも云ったものだろうか。
暫く惰性で走った後、30秒ほどで車内灯が再び点く。やがて床下から再びモーターの再始動音が聞こえ、列車はグイグイと力強く加速を始めていった。

虎姫、河毛と走っていくが雪はまだ見えない。この調子で行くと、もしや近江塩津に着いても雪は無いのではないか。雪合戦すると称して連れてきた部員達に申し訳ない・・・と思っていると見る見る間に窓の外の田園地帯が白に染まり出した。次の高月ではもう、辺り一面が白銀の世界。一駅挟んだだけで、ここまで違うものなのだろうか・・・。あまりの急激な風景の変わりように一同、唖然とする。


電車は雪晴れとまではいかないが薄日の差す雪原を快調に走る。
木之本ではホームに数センチの積雪があり、一安心。


湖辺がすっかり白に染まった余呉湖が見えると、すぐにトンネルの多い区間に入る。
雪も心なしか増え、線路沿いの竹が軒並み雪の重さでたわんでいる。

トンネルとトンネルの間の僅かな間から、湖西線の高架線路が見え隠れし始めるともう近江塩津は近い。


近江塩津に降り立ってみると、何時の間にか屋根が設置されている。以前来た時には長い無機質なコンクリートのホームがあるだけの駅だったのだが。
しかしその屋根も2,3両分ほどの長さしか設置されておらず、無い部分には真っ白な雪が20cmほど降り積もっていた。