お疲れさまでした

引退。113-5000・K8編成

明日10/16からJR各社でダイヤ改正が実施されますが、JR西日本東海道山陽本線上で大垣行き関連運用に唯一残っていた113系5000番台(網干区)が10/15の午前中下り4本の運用を最後にして現役を引退しました。


今朝も大阪駅で撮影してから乗車、のパターンでしたが、715Mで来た車両はリバイバル新快速でも走ったK8編成・・・(113-5001、5002入り)。

最後の日に思い入れの一番強い車両に乗る事が出来たのは何かの因果なのでしょうか。


最終日ですが特別な装飾もなく、ファンの注目も「だいせん」ほどではなかったために、全く「いつも通り」の装いで淡々と走っていました。

例によって前から三両目(モハ113-5002)の前側ドアから乗って、いつものようにつり革に掴まります。
こうやってMT54の爆音を聞きながら、この車両の窓から「いつもの神戸線の風景」を見ることはもう無いのだと思うとやはり寂しいものがありますね。


電車は尼崎、西ノ宮と通い慣れた駅に止まっていきます。


思えば、今の学校に入って初めての授業の日にこの車両に乗ってからはや2年半以上。
既に生活の一部のような存在になっていました。
時には113km/hの最高速度振り切りの激走で果敢に回復運転に挑み、豪雪地帯である米原始発の列車だったために冬になると屋根や先頭にびっしりと白い雪を張り付かせながら冬晴れの神戸を走ったりしていたものですが、それももう見られません。

まだ引退の話も無い頃、大阪駅で113を撮っていたら「今から乗務だ」という老練の運転手氏に声を掛けられ、「これ、俺が国鉄入った頃からずっといるよ〜」と言っていたのを乗っている最中にふと思い出しました。

ひたすら走り続けて40年。それも今日で最後です。


やがて床下から軋みとともにブレーキ音が聞こえ、今まで甲高かったモーターの唸りが落ちていきます。

いつものように重そうな音を立てて開くドア。

乗客を降ろし、再び詰め込む。発車。

下車駅で降りて、発車してホームから見えなくなるまで見送ったときには流石にグッと来るものがありました・・・。


最後の日は、抜けるような秋空が広がっていました。

2004年10月15日、網干区113系引退。