ありがとう。

今日の昼前、「出雲」も無事に最終下り列車が出雲市に到着。

長い歴史に幕を下ろしました。


小さい頃から山陰に住んでいたこともあって、思えば昔からあの列車には並々ならぬ思い入れがありました。


初めて乗った寝台特急はもちろんこの出雲。当時はまだ2往復体制で、B寝台には三段寝台が付いていたような時代。

その三段の最下段に豊岡から横浜までの乗車でした。


帰省時、夜の国道9号を車に揺られていて不意に擦れ違ったのもこの出雲。夜の闇を切り裂いてDD51と長い客車が突っ走るあの光景は、脳裏に染み付いて離れません。


密かに実家を抜け出して向かった、夜21時半の豊岡駅。他の列車案内が「福知山」「香住」など近場の行先を表示する中、圧倒的な存在感を示しつつ、パタパタ式の行先案内にただ一つ灯っていた「寝台特急 出雲  東京行き」の文字。

雪の降りしきるホームにディーゼルエンジンの爆音を響かせて発車していくその姿は、まさに山陰線の王者でした。


小さな頃は親に連れられ、線路沿いで過ぎ行く青い客車を眺めたり、夜の福知山駅でわざわざ発車を見させてもらったり。
カメラを持ってからは吹雪の中を必死で流し撮りしたり、草生す夏草の中に紛れて撮影したり。

小学校の頃にコンパクトフィルムカメラで撮った大量の失敗作、今でもちゃんと手元に残してあります。


そんな出雲も今日でいよいよ最後。まさに、私を育ててくれたような列車でした。


この間雪晴れの泊〜松崎で撮影したとき、ふと「出雲」があのまま青空に向かって飛び上がっていくかのような感覚にとらわれたんですよね。ああ、本当にこれで終わりなんだなぁ・・・、って。

帰りの姫新線の車内ではやたらと、言葉では形容しがたいような寂しさがこみ上げてきたりして。


今日の夜も、山々に汽笛を響かせながら闇夜の山陰本線を突き進んでいるような気がしてなりません。実際、そんなわけはないのですが。

それでも、私の心の中では紅いヘッドマークを掲げたDD51と長い客車はずっとずっと走り続けていくことでしょう。決して停まることなく、いつまでも。


ダメだ、書いてて泣けてきたお・・・゜(゚´Д`゚)゜。