旅行記続きとか

id:abu207:20050819>の分の旅行記、<id:abu207:20050823>の続き。


そんなこんなで名鉄クオリティを満喫し、名松線に乗るために名古屋13:30発の快速みえ10号へ。



発車時刻になっても連れが来ず、結局無常にもみえは発車。2分ほど経って連れが到着。
彼の手にはモリゾーとキッコロのストラップが握られていましたとさ。まぁ、いいんですけどね。


しかし、これで予定は大幅変更を強いられることに。まず名松線は無理、と。

結局、あーだこーだとやった結果そこにたまたま居た113系の中津川行き快速に乗ることに。そのうち「愛環でも乗るか」と云う話へと更に発展していき、気付いた時には既にエキスポシャトルの中の人になっておりました。超逝っとけダイヤ発動中。

路盤はかなり高規格で建設されているようで、211系は快調に高架線上を飛ばしていきます。高蔵寺からノンストップ10分強で万博八草に到着。流石にこの時刻から万博に行くような輩は少ないらしく、降りる客は僅か。折り返し列車にはそれなりに乗っていたみたいですけど。


もの珍しさもあって駅構内をウロウロしたあと、やって来た後続の列車へ。運の良い事に101系と同じMT46を積んだ100型・200型の4連がご降臨。この車両は万博輸送が終わると同時に廃車になってしまうようなので、今のうちに乗っておきたかったのです。
車体は製造後20年程度しか経っていないので、廃車とは勿体無い話ではありますが。あ、そういえばモーターをMT54に換装してえちぜん鉄道へ譲渡されるんでしたね。


さぁ唸れ、響けMT46の爆音・・・と思っていたのですが、電車は意に反して非常に高規格に作られている筈の路盤上をひたすらチンタラ走っていきます。速度はどんなに出てもせいぜい80km/h。やる気の欠片すら感じられないとても素敵な走りっぷり。廃車前に写真が撮れただけ、まだ良しとするべきなんでしょうかね。

三河桝塚で写真を撮っていると交代したばかりの運転手氏が話しかけてきてくれたので、ちょっと雑談。行き違い車両の写真を撮り終えるまで発車を待ってくれました。ありがとうございます、本当に。


岡崎からは快速、大府で乗り換えて武豊線・・・の筈だったのですが、乗り換える予定だった快速が11分遅れ。何を西みたいなことやってるんですか、東海さん。この時点で武豊線は断念orz

結局今日の新規乗車線区は愛環のみ。収穫はそれなりにあったので、良しとしますか・・・。やたらとトロかったことを除けば、の話ですけどね!


結局大府で降り、武豊線からやってきたキハ75区間快速で爆走を味わいつつ名古屋へ。物凄い勢いで速度が伸びていき、120km/hで爆走していても余力すら感じる素晴らしい走りっぷり。併走する名鉄をブチ抜き、ふざけているとしか思えない飛ばし方であっという間に金山。
月並みな表現ですが、とてもディーゼルカーとは思えません。高速域の加速の伸びの良さはまず間違いなく221系より上ですね。

何かの雑誌に「日本中の気動車キハ75なら俺は許す」という内容の文がありましたが、何となく云いたいことが分からないこともないです。アレは凄いですよ本当。


名古屋では運良くやって来たロクヨン重連のタキ貨物を捕獲、関西本線の中の人に。桑名辺りで座ってからは爆睡。四日市辺りで一度目覚めたところ、今度は周りに誰も居なくなっていたのでC寝台で更に爆睡。気付いたら亀山の一つ手前、井田川

ここで「かすが」と行き違い、発車・・・するかとおもいきや、もう1本の列車と行き違う模様。更にそれが遅れていたらしく、結局5分程度の遅れで亀山。接続の加茂行き列車の発車時刻は既に過ぎています。急げや急げ、で何とかボックスシートを確保。

乗り換えた列車はキハ120の2連。前1両がオールロングの0番台、後1両がセミクロスの300番台。乗車率は全ての座席が埋まるほどで、まずまずといったところ。


亀山を発車した列車は、関を過ぎると鈴鹿山脈を越える上り坂にさしかかります。これがいわゆる有名な「加太越え」なのですが、軽い車体に強力なエンジンを積んだキハ120は床下のエンジン音も勇ましく、グイグイと坂を登っていきます。

加太では行き違い待ち。が、対向列車が小動物を撥ねたために5分ほど遅れているとのこと。またかい。

草津線との接続時間が僅かしかないので一時は危惧したものの、老練の運転手氏に訊いてみたところ「接続?取ってもらうようには云ってるけど・・・」とのこと。結局6分遅れで発車、回復運転のために前にも増して物凄い勢いで峠を登っていきます。唸るエンジン、軋むフランジ、ガタガタ揺れる車体。スイッチバック式の中在家信号場も一瞬で過ぎ、サミットの加太トンネルを過ぎると今度は飛び跳ねそうな勢いで揺れながら坂を下っていきます。爺ちゃんナイスだぜ。


柘植では客の乗り換えが終わるや否や、接続の草津線列車は即発車。ここの113系もやっぱり回復運転のため、ただでさえ激しく揺れることで有名な草津線をいつもに増してぶっ飛ばしていくからもう堪りません。とりあえず、つり革の輪の部分が天井に当たる光景を初めて見ました。連れがシートから落ちそうになりました。窓枠に頭をぶつけてました。ヤバイです、草津線。がしゃん、だだだん、どどどん、ばごん。

行き違い待ちの時間などを削った結果、草津には定時で到着。予定していた快速に無事乗り継ぐことが出来、まずは一安心。


京都で連れと別れ、約30分の待ち時間の間に例の大階段に行ったり*1したのち、9時半発の新快速で京都を後にします。京都〜草津間はこれで今日3回目。何をやってるんでしょうか。


米原313系に乗り換え、今日2回目の関ヶ原越え。深夜なので、見えるのは名神を走る車列の灯りのみ。これがまた不思議な雰囲気を醸し出していて面白いんですけどね。

大垣で降りるや否や、すぐにいつもながらに乗る前に寄るコンビニへ。飲み物を調達してホームに戻ると、あらあらこんな所にEF66EF200重連が。EF66はパンタが下りて輸送票が挿された状態だったので、検査か何かですかね。

それがホームを出て間もなく、京都方から4つのライトが近づいてきます。ムーンライトながら、到着。


席に着くや否や、一息つく間もなくすぐに発車。深夜の東海道へと踏み出していきます。

車端部に8席あるセミコンパートメント席ですが、大垣発車の時点で座っているのは私一人だけ。外に輝く満月を見ながら先程コンビニで買ったサンキストオレンジをちゅーちゅーと啜っていると、お姉さんが「指定券持ってないんですけど、人が来るまで座ってていいですか?」と声をかけてきました。無論、断るわけがありません。


結局豊橋までの1時間半、ひたすらマシンガントーク。大学のネタサークルの話やら、「アジュール舞子が狭い」という超地元ネタな話やら、挙句の果てには関西弁講座まで何でもあり状態。どうなってんだか。

豊橋でオバチャン軍団が私の周りを固めてくれたので、そこからは自動的に体が眠りに落ちていきました。段々意識が遠のいていきます。
初めてながらに乗ったときは一晩中眠れなかったものですが、4回・5回と何回も乗っていくうちに慣れていくようで、今ではすっかり楽に寝ることができるようになりました。これは果たして進化なのか堕落なのか。


通路まで満員の乗客を乗せたムーンライトながらは、夜闇に包まれた東海道をひた走ります。夜空は綺麗に晴れ渡り、満月が照らす中を帝都へ向けて疾駆する「ながら」は、様々な人を乗せて東京へと向かっていきます・・・。

*1:ネギま4巻参照