福知山線復旧

今日、55日ぶりの復旧となった福知山線
復旧にはまだしっくりこないような気がするのも事実なのですが、行かねばならないとの思いが不意に湧き起こり、大回り乗車で行ってきました。
決してヤジウマ根性などではなく、「記憶が薄れないうちに現場を見ておきたい」との気持ちが強くあったためです。


長尾を6時過ぎの区間快速で出発。
何かの拍子にふと、宝塚線の始発列車が学研都市線直通だった事を思い出しました。
時刻表を繰ってみると、確かに宝塚5:00発の木津行き列車とこの列車は津田を出たあたりで擦れ違うことになっているようです。

津田を出て暫く直線を走った後、カーブにさしかかります。それを曲がりきったとき、直線線路の向こうで二条のライトが光るのが見えました。どんどん近づいてきます。

やがて擦れ違い。

JR西日本の社長をはじめとする沢山の人々が乗り込み、あの事故現場を初めて通った営業列車。結局は何も代わり映えのしない207系車両なのですが、何故でしょうか、いつもとは違う雰囲気がありました。


そして、大阪駅7時10分。

昨日までは北陸特急が時折発着するのみで、以前の賑わいが嘘のように閑散としていた3,4番ホーム。
その3,4番ホームに今日、55日ぶりに帰ってくる福知山線列車。以前からの利用者が「いつもどおり」に使えるようになるまでにはどれほどの時間が必要なのかは私には分かりませんが、一刻も早くそんな日が来るよう願っています。


やがて列車が到着。何と、元日根野〜岡山転属〜福知山専用に貸出となったデカ目が特徴の113系B02編成でした。同業者が群がっていたのは、これのせいでしょうか。


2両目に乗車。2,3分ほどの停車の後、すぐ発車です。

大阪では久々に聞く113系のモーター音。このような結果でこの音が聞けることになってしまうとは・・・。

沢山の撮影者が集う塚本を通過し、神崎川を渡り尼崎へ。ここからいよいよ福知山線です。先頭車にはマスコミ関係者がどっと乗り込み、半ば「報道専用車」の様相を呈していました。2両目にもカメラマンが複数名乗車してきます。ホームは報道関係者、ヲタ関係者が集い、異様な感じ。

1分ほど停車し、電車はいよいよポイントを渡り、いよいよ福知山線への上り勾配を登っていきます。

大きなカーブを描きながら本線と別れ、進行方向を北へととる電車。50km/hほどでしょうか、非常にゆっくりとした速度で走っていきます。

心なしか、緊張感の漂う車内。先ほどまで喋っていた人々も、何時の間にか静かになっていました。

カーブを曲がり終えると暫く高架線が続き、やがて線路は地平へ降りていきます。やはり電車は慎重な速度で、ゆっくりと走ります。

坂を下り終え、電車はさらに速度を落とします。カメラマンの並ぶ踏切にさしかかり、やがて電車がカーブを曲がり始めました。窓の外には、どこかで見覚えのある光景。

あっ、このマンションなのか・・・。事故現場は更地となり、柵の向こうに居る大量の報道陣から列車に向け、一斉にシャッターの放列が浴びせられます。

暫く目を瞑り、合掌。


現場を通過した電車は朝のぼんやりとした光を浴びながら、最び加速していきます。
毎日必ずやってくる朝。事故で亡くなった方も、この「いつも通りの」朝日を浴びながらあの快速電車に乗り、亡くなったのでしょうか。そんなことを考えながら、手を合わせました。


尼崎〜宝塚までの間、線路沿いに何十何百とあるであろう踏切には大小かかわらず、全てに警備員が配置されていました。踏切以外の場所でも、数百メートルおきに保線員の方が列車を見張っています。

この厳戒態勢の中、とにかく列車は再び走り出しました。今後5年、10年と年月が経ったころ、この路線はどうなっているのでしょうか。
事故を風化させてはなりませんが、引きずってばかりいては決して前には進めないことも、また確かです。