阪堺行ってきました
昨日の日記で言ったとおり、モ161形目当てで阪堺電軌に行ってまいりました。
ただし弟連れで。・・・いや、こうしたら経費が若干浮くわけで。
レポ(やっぱり「だ・である調」)
天王寺までは学研都市線・環状線を順当に乗り継ぎ、ここからはJR難波始発の関空快速。
JR難波始発なので、環状線から直通してくる列車よりも格段に空いている。
連続立体交差化工事が進む大阪市内を抜け、堺市・三国ヶ丘を過ぎて鳳までは20分足らず。
鳳駅の隅にある小ぢんまりとしたホームでしばらく待つと、3両編成の103系がやって来た。
この編成はワンマン放送用機器等を備えた羽衣支線専用の車両となっているため、本線で乗れる事はまず無い。15分サイクルで、鳳⇔東羽衣をひたすら往復している。
最後尾のクモハに乗ったところ、乗客は僅か。前の方の車両にはかなりの人数が固まっているようだが。
急なカーブを描いて本線から分岐するとすぐに高架になり、住宅街の真ん中を一直線に走る直線区間になる。
その直線区間に入り、やっと加速・・・したと思いきや、すぐにブレーキ。1.7km、僅か3分間の乗車だった。
殺風景なコンクリート造りの東羽衣駅は1本の線路の両脇に2面のホームがあり、乗車用・降車用の別々のホームに分かれていた。レールの先端はプッツリと切れ、その先はコンクリートの壁で遮られている。
乗客は思いのほか多く、改札口もそこそこ賑わっていたようだ。
駅を出てすぐ目の前には、南海本線の羽衣駅がある。乗り換えの需要はあるのだろうか。
その南海本線の踏切を渡り、西へ直進するとそこそこ大き目の道路に突き当たる。
ここを南へ折れ、高石警察の前を通り、しばらく歩くとやがて道路を跨ぐ単線の線路が見えてくる。南海高師浜線である。
そのまま線路の下をくぐり道路を右に折れ、ちょっと行くと高師浜駅の小さな駅舎があった。ここまで羽衣駅から歩いて20分弱、距離にして1kmと少々。自転車だと5分とかからないであろう距離なのだが・・・なぜこんな所に支線が伸びているのだろうか。
11時38分発の電車に乗り込む。南海では支線で主に使われている2200系の2連。
この車両、以前は高野線で険しい山道に挑んでいた22000系を改造した車両である。2扉で、その扉間の座席は名前通りに長い「ロングシート」。
駅に掲示してあった時刻表を見る限りでは、ここ高師浜線は一時間に3本の運転。ガラガラか・・・と思いきや、発車数分前の時点で一両に十数人程度の乗客が乗っていた。
ワンマン放送が流れたのちに発車。
発車後すぐ、左手の住宅街の屋根の向こうに煙を上げる石油化学コンビナートが見える。間もなく右にカーブを描きそれらの景色とは別れ、先ほど歩いてきた府道を跨ぐ。
高架のまま、すぐに伽羅橋。ここでも10人強の乗客が乗ってくる。客層は営業のサラリーマンから老人まで様々で、完全な生活路線の様相。
やがて、今度は左カーブを描きながら高架を降りる。南海本線に寄り添うかたちで併走し、羽衣駅の端にある小さなホームに到着。高師浜から1.5km、僅か3分の小旅行だった。この路線、一度自転車で競争してみたいものである。
羽衣駅のホーム端で駅に進入してくる7000系・7100系などの車両を数枚撮り、なんば行きの普通で羽衣を後にする。
この電車の一本前の急行が1000系のなんばパークスラッピング車だった。昨今では車体広告が流行りのようだが、ラッピングをするならするで車両が一層よく映えるデザインのものにして頂きたいものである。
すぐに浜寺公園に到着。1000系には初めて乗ったが、「車端部のみクロスシート」という概念はなかなかに新鮮だった。
大正建築という由緒ある浜寺公園の駅舎を後にし、いよいよ阪堺電軌。
駅からまっすぐに続く下町風情漂う通りを歩いていると、右手にいきなりモ161形が姿を現した。幹線道路のすぐ脇にあるこの小さな駅が、阪堺電軌の浜寺公園駅である。
窓口で一日乗車券「TAKEKTAKEフリーきっぷ」を購入。大人600円也。
一区200円の路線で、この値段で全線乗り放題なら安いものである。
先ほどのモ161形162は乗り逃してしまったので、仕方なく次の電車に乗る。600形・・・。
走り出して間もなく、勾配を駆け上がって南海本線の上を跨ぐ。どんぴしゃのタイミングで下を通過していったのは恐らく7000系だろう。跨いですぐに勾配を下り、暫くは民家の軒先を走っていく。
寺地町付近からは堺市内の大通りに出る。道路の中を走る区間なのだが、植え込みで道路と線路は完全に分けられているので車が軌道敷内に進入することはなく、電車は快適に50km/hほどの速度で走ることができる。車と共有なのは信号だけである。
併走する南海バスと抜きつ抜かれつを演じながら、各停留所で数人ずつ客を拾い、また降ろしながら道路の中央を走っていく。ジリ貧と言われる阪堺線の堺市内だが、さほど酷い状況には見えなかった。綾ノ町あたりで再び専用軌道に戻る。
やがて大和川を渡り、勾配を駆け下ると車庫のある我孫子道。ここで一回目の下車。
車庫を線路越しに望む。モ161形が3・4両、モ351形も数両。新鋭600形・700形はあらかた出払っているようだ。とにかく今日はかなりの数のモ161形が運用に就いていることがわかり、一安心。
駅周辺を少し歩いた後、再び電車に乗る。住吉鳥居前で下車し、住吉大社へ初詣に。道路上の電停に降り立つと、大鳥居は横断歩道を渡ってすぐそこに聳え立っている。
屋台のオッチャン達の寄ってけ攻撃をかわしつつ有名な太鼓橋を渡り、参拝。5円のお賽銭にしては欲張りすぎだったような気もするが。
その後おみくじ。引き当てたクジは何と大吉。今年だけと言わず、来年も再来年も、そのまた来年も良い事があるといいのだが・・・。大学受験もそろそろ視野に入れていかねばならない。
再び電車に乗ろうと天王寺方面行きの電停で電車を待っていたところ、はす向かいの堺方面行きの電停にモ161形が。あびこ道行きなのを確認し、すかさずそちらに飛び乗る。
折角の一日乗車券なのだから、とことん使い倒さねば。同じ道を何度往復しようと自由なのである。
やっと乗れたモ161、車内は木製ニス塗り。天井はなだらかな弧を描いたドーム状。運転席後の柱にある古風な唐草模様の飾りなど、何もかもが前時代的。何せこの車両、昭和3〜6年に製造された戦前生まれでもう75歳前後。「超」が付くほどのオールドタイマーなのだ。
住吉大社への大量の参拝客をおろし終わった後、信号が青に変わるのを待って走り出す。暫く道路上を走った後、すぐに専用軌道に。
床下のモーターは勿論のことながら釣りかけ式駆動。独特の唸りが車内に響き渡る。
40km/hも出ていないほどの速度なのに激しいヨーイングを起こし、大柄な車体を激しく左右に揺さぶりながら民家の軒先を走っていく。
先ほど来た道を戻り、終点の我孫子道に到着。
700形が来たがパスして次の電車を待っていると、先ほど乗ったモ161形168が再び折り返してきた。今度は天王寺駅前行き。
始発から座席がほぼ埋まる程度の乗客を乗せ、我孫子道を出発。今来たばかりの道を三たび通り、三度目の住吉鳥居前。参拝を終えた客がどっと乗り込み、車内は一気に満員になる。阪堺電軌では一番大柄な車体を持つモ161形が威力を発揮するときである。
前に立っているお姉さんが仲間数人と「何これー、すごいレトロな電車〜」と言っている。戦前から走り続けていると言う事を知ったら一体どんな反応をするのだろうか。
住吉から上町線に入り、南海高野線の高架を跨ぐ急な上り勾配に入る。
床下からは釣りかけモーターの懸命な唸りが聞こえてくるが、それとは裏腹に徐々に速度が落ちていく。乗客を満載したこの状態で坂を上るのは戦前製車両にとっては並大抵のことではないだろう。
帝塚山の高級住宅街を抜けると、電車は急に阿倍野・天王寺界隈の雑踏の真っ只中にある路面区間に出る。程なくして終点・天王寺駅前。
駅前のマ○ド○ルドで遅めの昼食(今だけ100円、フィレオフィッシュ・・・)を買い、阪堺電軌乗りつぶしを再開する。
再び電停へ戻ってくると、そこにいたのは何とまたもやモ161形。今度は170号。
冬場はそこそこ走っていると聞いてはいたが、まさかこれほど都合よく来るとは・・・。
都合よく住吉公園行きだったので、これ幸いと乗り込むことに。
ピークの時間を過ぎて、なおかつ住吉鳥居前には行かない電車なので乗客は少なめ。それでも発車間際には数人の立ち客が出ていたようだ。
車体をガタゴト震わせ、釣りかけモーターを重く唸らせながら電車が走り出す。
住吉までは先ほども通ってきた区間。途中、幾度か擦れ違う電車はカラーバリエーションも様々で見ていて飽きる事が無い。稼動機会の少ないモ161形の広告車は消滅してしまったが、他の形式ではまだまだ賑やかな広告が健在である。
大きく車体を揺さぶりながら住吉の平面交差を渡り、急なカーブを曲がると終点の住吉公園。初詣客はほとんどが一つ前の住吉で降りてしまったため、ここまで乗り通す客は僅かだった。
モ161形170とはここでお別れ。住吉公園駅を後に、参拝客で賑わう道路を少し歩いて今日何度目かの住吉鳥居前電停に。
5分ほど待って、カーブの向こうから恵美須町行きの電車が姿を現した。
モ351形351、白と青の「雲」をイメージした爽やかな塗色となっている。大勢の参拝客と共に乗り込み、やはり結構な混み具合になるのだが、先ほどの天王寺駅前行きよりは空いているようだ。
この車両も一癖も二癖もある車両で、車体は昭和38年製のものなのだが床下機器は大昔の木造車で使われていたものを流用しているらしい。勿論のことながら釣りかけモーター。
住吉ですぐに専用軌道になってしまう上町線とは対照的に、こちらの阪堺線はかなりの距離を路面区間のまま走る。大阪市内では自動車の軌道上乗り入れが許可されているため、前方を車が塞いでしまうことも少なくない。
自動車に阻まれつつ進んでは停まり、を繰り返しながら走り、やっとこさ専用軌道に入る。70年代に路面電車が続々と廃止されていった最大の原因が、これである。堺市内線の廃止、あるいは逆にLRT化で復権・・・などの様々な課題を持っている阪堺電軌。経営状態も火の車で、まさしくジリ貧状態だと聞くが、いつまでも走り続けて欲しいものである。
南霞町では環状線の新今宮駅と乗り継ぎが出来るため、大半の乗客が下車していった。乗りつぶしのため、終点の恵美須町まで行く。
ほどなくして電車はゆっくりと薄暗いホームに停まり、十数人ほどになった乗客を降ろす。
一方の乗車ホームには結構な数のお客が待っていたが、このくらいの乗客がいつも乗っているような路線になる事を願うばかりである。沿線住民は少なくないのだから、まだまだ施策の施しようによっては乗客掘り起こしの余地はあるはずだ。
その後は日本橋界隈の電気街を少しだけふらつき、恵美須町から南森町まで地下鉄堺筋線一本で行けるところをわざわざ堺筋線〜中央線〜谷町線と乗り継ぎ、帰途についた。中央線で近鉄7020系に乗れたら・・・と仄かな期待を抱いていたのだが、来たのは旧20系で少々残念。恵美須町ならしょっちゅう行っているので、またの機会ということにしておこう。